--- まず榛葉さんと日本酒の関係について教えていただけますか。

 主人が土井酒造場 銘柄“開運”の杜氏、主人の兄が英君酒造 銘柄“英君”の副杜氏を務めています。「吟醸王国静岡」と呼ばれる静岡の酒造りに深い縁をいただいたことをきっかけに、2015年に富士の酒をスタートしました。富士の酒とは初めて日本酒を知る方から、より美味しい日本酒を探している方まで、お酒との新たな出会いが広がるお手伝いをしています。具体的には通販サイトで、静岡県における各蔵のスタンダードとなる日本酒から最高峰のお酒までをセレクトし販売をしたり、お祝いごと・ご贈答用にもお渡ししやすいよう、ギフト用パッケージとして販売を行っています。現在はコロナで日本にお越しいただくことは減ってしまいましたが、英語対応の商品も用意しており、国内だけでなく海外へのお土産としてもお喜びいただいています。コロナ前には実際に他の事業者の方々と日本酒のイベントを開催もいていて、着物と日本酒やマリーナと日本酒など新しいお酒の楽しみ方を沢山の人たちと面白がりながら模索しています。

--- 静岡の日本酒の魅力や特徴はどんなところですか。

 静岡に移住し静岡酒と深くご縁を持ってからは、香りや主張が控えめながらも、清々しく柔らかく上品な飲み口の多い魅力に取りつかれてしまいました。静岡県は海と山に囲まれ、富士山、南アルプスなどの山々から、酒造りに適した豊かで清らかな伏流水や大小の河川からの恵みを受けているため、味にキレと深みがあるのが特徴です。静岡の日本酒蔵のスタンダードとなる普通酒や本醸造酒は、全国的にみても、お手頃な価格ながら日本酒の質が非常に高いと、飲食店・消費者の皆さまからも評価を得ています。「大地の恵みが豊かな静岡の食材と静岡のお酒をもっと多くの方に知って欲しい!」と思い、イベントや商品開発をしています。 現在はEC(通販)・イベントに加えて、ペロリ編集部の皆さんと<静岡県日本酒研究会>を立ち上げる運びとなりました。

--- 日本酒を熟成しようと思ったのはなぜですか?

 富士の酒の立ち上げの頃から頭の中でぼんやりと「付加価値のあるお酒をつくっていきたい、貯蔵の仕方の幅を広げて熟成酒にチャレンジしてみたい」と考えていました。お酒をただ飲むだけでなく、そのお酒の背景をちゃんと伝えて共感してもらったり、ストーリーを感じてお酒との出会いに感動したり、さらにお酒と食事と合わせて、食卓がもっと楽しくなるような取り組みを始めたかったんです。そんな最中、浜松ワインセラーさんをご紹介いただきました。ちょうど1年前のコロナの本格化したタイミングでした。

 日本酒を熟成することは古くからある文化なのですが、歴史の途中で途切れてしまった時期がありました。熟成よりも「季節限定ボトル」や「生酒のフレッシュさ」をアピールすることがブームになっていました。季節性やフレッシュさを打ち出すことは消費者にとって購買のきっかけとなるコミュニケーションだとは思うのですが、現在はそれに偏りすぎている印象があります。 ワインセラーの天然冷蔵庫を見学して感じたのは、心地よい湿度と気温、そして静寂さ。とても神秘的な空間でした。ゆっくりと時を刻むような、穏やかな気の流れに癒されました。トンネルをセラーにした背景や、コンセプトを聞いたとき、「日本酒が忘れてしまったもの」がここにある気がしました。「時間をかけてお酒の飲み頃を待つ」をトンネルに実際に入って空気を感じて、お酒の味わいの深みを楽しむことを知ってもらうには最高の場所だと感じたんです。

--- コロナ禍での酒蔵・飲食店について、率直に感じていることはありますか?

 これまで日本酒の消費は飲食店が牽引していたので、現状はとても厳しい声を聞いています。通常日本酒は冷蔵庫に入れなければならないため、店舗に多数の在庫を抱えることができないハンデもあります。 ある日、「生酒はフレッシュな状態で飲んで欲しい」という酒蔵の想いから、酒蔵が生酒を自主回収して捨ててしまったというニュースを目にしました。 酒蔵側としては新鮮なうちにお酒が飲めないこと=自分たちのベストな飲み方以外では飲んで欲しくないという意図だと思いますが、それが全てのお酒には当てはまらないのに、ある一面だけが話題となってしまったことに危機感を感じました。年代もののワインやウィスキーなど世界をみれば、アルコールは、熟成により時を超えてアロマが開く。そこに多くの人が魅了されている。日本酒も同じだと思います。もっと日本酒の魅力を知ってもらう努力が必要だと強く感じました。

--- コロナによって日本酒が抱える課題がよりはっきり見えてきたんですね。

 そうなんです。先ほどお話した通り、以前から日本酒は時間をかけて熟成することで美味しくなる、という文脈はありました。しかし販売の戦略として生酒のフレッシュさを前面に打ち出しすぎたことで、いつしか「熟成すること」のメリットや良さが伝わりきれてなくバランスが悪くなってしまったのでは無いかと思っています。 現在の日本酒の国内での消費は残念ながら年々下がってます。原因は、これまでや消費を牽引してきた団塊の世代の消費量の低下、アルコール商品の多様化、若者世代の摂取アルコールの多様化、など複合的な問題が絡み合っています。そして、日本酒の消費を上げるための課題は流通面でもあると思います。ご家庭で飲まれる場合、日本酒は瓶が大きいため、冷蔵庫の幅をとることになります。もしお父さんが日本酒好きだとしても、限りある冷蔵庫の面積を長期間に渡って占領してしまうことに罪悪感を感じてしまう ケースもあるとお聞きしました(コロナ禍で家飲み需要に対応した小さなサイズの瓶の流通が増えました。とても良いことだと思います)。

--- それら課題に熟成酒が課題解決になりそうだと。

 はい、そう感じました。熟成酒のメリットを挙げてみると、熟成酒は生酒と異なり常温保存ができるため、自宅で飲む方にとっても相性が良いんです。サステナビリティの意識が高まっている現代、熟成酒が若手の方々への新しい提案にもなるはずだと思います。 そして何よりの魅力は「味の追求」ができる、という点です。 例えを挙げると、 ・琥珀のような美しく輝かしい色調 ・新酒のフルーツ系の軽やかな香りからナッツやドライフルーツなど奥深い香りまで幅広いグラデーション ・お酒がまろやかになり、とても柔らかな口当たりに ・飲後の余韻を長時間楽しめるため、和食はもちろん、西洋、中華、メイン料理や、チーズ、デザートまで食と合わせて楽しめる など、一言ではとても言い表せられない多くの魅力を持っています。 また健康面でも優れていると言われてます。熟成が進むと酒のアルコールは水の分子に包まれ、アルコール分がもたらす荒々しさや刺激が減少します。粘膜に対して刺激が弱いため、 二日酔いの原因になりやすいエタノールの分解速度が速く、内臓刺激も少ないので適量の熟成古酒を飲んだ翌日はスッキリとした目覚めなのも嬉しいメリットだと思います。

--- 熟成酒を啓蒙することに酒蔵の皆さんの反応はいかがですか?

 酒蔵のみなさんは強いこだわりと高い職能を持っていますが、「お酒をどう売るか?どうやったらよりたくさんの人の手に渡ることができるか?」という点においてはまだ伸び代があると感じている方が多く、販売を広げることにはポジティブな声を多数いただいています。生酒でも熟成酒でも、酒蔵のみなさんは多くの人に自分たちのお酒を届けたい、という想いは持っていますが、じゃあ具体的にどうすればいいのか?ということを考え、実践する時間的余裕が少ないですからね。であれば土井酒造場 銘柄“開運”の杜氏の妻であり富士の酒代表の立場として、各酒蔵こだわりの日本酒を熟成するとどんな価値を提供できるのか?熟成酒とお食事をどう合わせるか?新酒だけでは味わえない価値はなにか?を伝え・広めていく立場を、私が担いたいと使命感を感じています。

--- 熟成日本酒の未来についてどうお考えでしょうか。

 熟成した日本酒の魅力はまだまだ伝えきれていないため、可能性は無限大だと感じています。熟成酒は和食やフレンチ・イタリアンなどジャンルを問わずペアリング、マリアージュを楽しむことができるお酒です。ボディがしっかりしているため、鮮度の良い脂との相性は抜群です。常温保存できるため、温度のバリエーションも楽しめるのも魅力の一つです。どんなお食事と合わせて欲しいかはここでは話足りないためまた別の機会にでもじっくりお話させてください(笑)。 日本酒だけでなく、ワインやウイスキーも含めて「お酒の境界線」がもっとなくなってもいいと思っています。静岡は酒蔵が多いですが、クラフトビールの醸造所もたくさんあります。「私はビール党だから」「日本酒派だから」と線を引くのではなく、お酒がもっと日常に溶け込み、より身近になるような未来を実現したい。お互いが競い合うのではなく、お酒を飲む空間・時間を楽しめるような風土を作っていきたいと思います。日本酒は、まだまだフォーマルなシーンを想像されがちなので、もう少しカジュアルなコミュニケーションもとっていきたいですね。作法を知らなくても恥ずかしいことなんてないですから。これからも日本酒だけではなく、静岡県のお酒の新たな歴史を紡いでいきたいと思っています。